癒された心から~週報より~
私たちは成長と共に善悪を知るようにはなります。
しかし善悪を知ることと、善悪を区別し自分でどういう選択をするか常に注意することは大きな違いがあります。
私たちの理性で理解できていることでも感情の波に理性が飲み込まれてしまい、悪いと思っていること、知っていることに流される弱さを誰しも感じたことがあるはずです。
そのギャップを埋めるために大切なことはまず心が癒されること、そして強められることです。
癒されていない心での善悪の基準は自分に甘く他人に厳しく、まるで手負いの獅子のような状態に例えることが出来ると思います。
自分の事は棚にあげて高い基準を相手に突きつけます。その基準は勿論達成出来れば素晴らしいものであると思います。
しかしそれを相手に突きつける動機が愛ではなく、痛みやねたみ、傷である場合はまずそこが整えられる必要があります。
そして次の段階として私たちの心はほとんどの人の場合は励ましを必要としています。
ただの励ましでなく本質的な部分で受け止められている。認められているというアイデンティティに根ざした力となりうる力ある励ましです。
心がしっかりと強い状態が保てるならば私たちは相手のことで振り回されにくくなります。
2つの土台がしっかりしていれば私たちは神様に根ざした広い視野と深い洞察を持って様々な物事を見たり、祈ったり、また関わったりすることが出来るようになります。
イエス様はどんな時も私たちの最善の理解者であり、とりなし手であることをしっかりと覚えて歩んでいきましょう。
そしてイエス様のような心を持って自分を受け入れ、周りの方々も受け入れ、またとりなすものとなりましょう。